2012年12月2日日曜日

妻が見た「ひぐちひろやす」ってこんな人(その2)

ひろやすと会ったのは、22才の時。ひろやすは、25才でした。「日本を良くしたいんだ」と楽しそうに理想を語るちょっと浮世離れした(お金や地位に全然興味のない)人でした。

友だち同士が、2年後に付き合い始め、2年後に結婚しました。披露宴では友人が「ひぐち=金がない+酒が好き」とスピーチしました。「ホントだね~」と2人で笑いました。その後24年間、それは、「不変の定理」となっています。

考えてみると、ひろやすは、出会った時から28年、不思議と変わりませんでしたね。楽天的な性格も、理想も、体型も、元々ちょっと寂しげだった髪も。「日本を良くしたいんだ」と青年のようなことを言い続けて53になりました。

ひろやすは、常に裏方でがむしゃらに働いてきました。若い頃は、毎日終電でした。
国際会議の裏方から国際協力推進活動の裏方へ。そして12年前に民主党党本部の職員に。

直後に「誰もいないから佐賀から出てくれ」と、国会議員になっていた政経塾同期の原口一博さんに突然頼まれて立候補。選挙後は、党本部に戻り、役員室で、歴代の代表と幹事長に仕えてきました。
政権交代までの10年間は、長い長い日々でした。

「ひろやす自身は、日本を良くするという理想を実現するためなら市議でも国会議員でもと思っていたと思うんですが、私が佐賀の選挙後に体調を崩し、8年前に病気になってからは、そういう道を選びませんでした。(ひろやすは、私のせいではないと言いますが・・。)

私から見ると、理想に向かって頑張っても頑張っても、報われることの少ない28年だった気がします。
 
東日本大震災の時も震災の日から1週間、ひろやすは、自宅に帰って来ませんでした。連日ほぼ徹夜で、生存者の救出、救援物資の手配などを国会議員や同僚職員と一緒に死に物狂いで働いていました。

疲れ切って自宅に帰って来た時、「どれだけ頑張っても全員を救うことができない」と自分を責めていました。あの時、党本部がしたことは何1つ報道せず、「あれもしない、これもできていない」と批判ばかり繰り返すマスコミが、本当に悲しかったです。

(続く)